滋賀県米原市上丹生(かみにゅう)。
鈴鹿山脈の最北に位置する霊仙山(りょうぜんざん)の麓。
ここ上丹生では江戸時代から、仏壇づくりや神社仏閣、伝統工芸を生業とした職人が集まる地域で、いまも木彫りの里として知られています。
浜壇の山本は80年以上、この地にて各宗派の仏壇の製造・販売や修理業を営んでます。
祖父の代からはじまり、現在は父 山本 清は、木材を加工する木地師(きじし)、私(一郎)は漆を扱う塗師として仏壇の製造に携わってます。
木彫りの里で生まれ、長男であったこともあり、祖父や父が働く姿に憧れ育ちました。幼いころ父が造った仏壇の木地が、漆塗り職人の手を経て美しく塗り上げられたのを見て、幼いながらにも漆とはこんなにも奥深い艶を持ったものなのだと感心しました。
それと同時に将来、漆に携わって美しい仏壇を造ってみたいと強く印象に残ったことを覚えています。
25歳で本格的にこの世界へ入り、漆職人のもとに師事し一通りの工程を覚えた後は、失敗を繰り返しながら独学で技術を磨きました。
この世界に入って知った事として、漆は一度塗れば終わりというものではなく、何度も下地を塗り重ね、その上でその下地を石で研ぎ、その上から仕上げの漆を何度も漆を塗り重ねる事で、はじめて奥深い艶が出せるという大変手間暇のかかる作業が必要になるということが挙げられます。
浜壇の山本では、いまも仏壇の製造・販売や、古くなり傷んでしまった仏壇や地蔵堂の修繕を引き受けておりますが、これからの仏壇産業は衰退していく一方で、職人の高齢化と需要の減少は止められません。
10年くらい前から新規での仏壇の仕事が大幅に減少、また5年前からは修理(お洗濯)も減りました。
さらに目の当たりにしたこととしては、友人たちが新築で家を建てたのですが、見てみるとそこには仏間や仏壇を置くスペースすらなかったため、この先の仏壇業界の先行きが厳しいものだと肌で感じました。
“仏壇を求められる時代から、仏壇を必要とされない時代への変化に対応していくために”新しいことに挑戦していかねばなりません。
今日まで仏壇づくりの中で培った、漆の可能性をより追及していきたい。このまま伝統や日本の文化が廃れてしまうのは、この世界に携わってきたものとしてはとても心苦しく、伝統の技術を用いながらも現代の生活様式にあった商品を提供することはできないものかと、気持ちが高まります。
そして、長年あたためてきた構想を、漆の新たな可能性に変えていくためにも、今年になってようやく、漆器ブランド「USIRU(ウシル)」を世に出すことにしました。
漆は縄文時代から使われていたと伝わっており、昔からコーティング剤がわりとして使われていたり、また抗菌作用があります。何より自然素材なので、常に時代に寄り添った素材です。
独特の艶やかな質感と長い耐久性を持つのが特徴です。漆は一度塗れば終わりというものではなく、何度も下地を塗り重ね、その上でその下地を石で研ぎ、その上から仕上げの漆を何度も漆を塗り重ねる事で、はじめて奥深い艶が出せるという大変手間暇のかかる作業が必要になり、納得がいくまで何度も繰り返さなければなりません。
漆には黒や赤といった伝統的な色以外にも、様々な色をつけることが可能です。色使いの仕様によっては、表現の可能性が広まるのではと気がつきました。
暮らしの中で親しみを持って使っていただくには、自然や季節であったり、食材に寄り添ったものはもちろんですが、例えばインテリアやファッションといったその人の生活様式に、より近寄ったものづくり行い、ご提供していかねば使われません。
漆の魅力を知っていただくための近道は、日常の暮らしの中で漆器を育てるように使い続けていただくことが何よりも大切です。
経年により表情が変わり道具に対し愛着を持っていただいた頃には、私どもが受け継いできた伝統の技術をより身近に感じていただけると信じて日々追求していきます。
浜壇の山本
山本一郎
浜壇(浜仏壇)とは豊臣秀吉が長浜城城主であったころにはじまった、曳山祭りの山車を造らせた職人たちが、その巧みな技を以って造り始めた仏壇がルーツとされており、最高級の仏壇のひとつです。
国産にこだわり、木地から漆塗り、彫刻、箔押し、蒔絵等から仕上げまで一貫して行い、まごころ込めて丁寧に作り上げることで深い輝きを醸し出します。耐久性に優れた浜仏壇は、大切な人を偲び供養するためにふさわしいものです。悠久の美しさが家族の絆をいつまでも深く結びつけてくれます。
山本 一郎やまもと いちろう
数年の工場勤務を経た後、漆塗り一筋21年。
趣味:神社仏閣巡り
好きな食べ物:寿司
仏壇を含めあらゆる伝統工芸の世界がどんどん先細りしています。それでも様々な業種の方と関わり、新たな価値を生み出したいと考えています。
山本 清やまもと きよし
仏壇木地職人一筋